救いの手を差し伸べてくれて、ありがとう。
あなたは選ばれた。
メリットが提示されない中でのその選択には、
強い覚悟と決心があったはずです。
大丈夫。
我々は、もう“勝ち”ました。
後出しで悪いけど、知っているんだ。
この先の軌跡を。
ごめんね、ハッキリしたことを言わなくて。
コタエを言うと、未来が変わっちゃうからさ。
でも、あなたの眼にはもう映っているはず。
その選択が取れたのは、
見えないものを“確かにみていた”からだと思う。
その選択と決断を目の当たりにして、確信した。
「あなたにも、この眼に映るVISIONが確かに映っているんだ」と。
時間軸によって証明されることもある。
だが、それでは遅い。
もうすでに結果は出ている。
時間軸たるは物質。
相対して、空間軸こそが半物質。
目に見えた成果に対して選択と決断を繰り返す、
いわゆる一般化された“順算的活動”を積み重ねるのは、
過去に生きるということ。
過去の延長線上に“未来”はない。
今が積み重なることで、過去が拡大していく。
逆に、今は目に見える成果が伴っていなくても、
VISIONに基づいた“逆算的活動”を積み重ねることで、
その累積した“今”が連続体となり、
要件を果たし、条件を満たした瞬間、
それは発動する。
“未来”が、目に見える形で具現化し始める。
空間こそが現実。
この世の中を支配しているのは、“未来”からの逆算。
AIと共存する現在。
過去はビッグデータに集約され、
未来はビッグデータに蓄積されていく対象となる。
過去に生きるのか?
未来に生きるのか?
その選択は表裏一体だが、
世界線はまるで違うものになる。
過去は淘汰されていく。
そして、過去と未来の分断によって、
世界は今、二極化を始めている。
だが、残念ながら——
まだ人類において、“未来に生きる方法”は一般化されていない。
それは、一部の「記憶を司る者たち」「時の番人」だけが実践している領域だ。
この現在地点において、
“何者でもない俺”をよくぞ選んでくれた。
邪魔者が入らない限り、
時の支配者たちの暴動が起こらない限り、
その“未来”の実現は、もう約束されたようなもの。
自覚はないかもしれないが、
その選択と決断によって、
あなたという存在は——救世主と化したも同然です。
残りの人生、何のために何をするのか。
もう、そんなこと考えなくてもいい。
あとは俺に任せておいてくれ。
最終決戦、共に戦い抜くことを選んでくれた
あなたの志に、心より感謝する。
共に活きれば最上。
その在り方を、共に証明していこう。
この小さな身体に宿っている者より。
K
