これは私のトレードの指針だが、長い期間かけてようやく、自分が納得する形でこの言論を満たすポイントを押さえられるようになってきた。そして、ふと気づいたことがある。
つい最近まで、「長期順張りの短期逆張り」= 「長期の方向に向かうトレンドの中で、短期が底を形成し、ブレイクアウトしたところでエントリーすること」 だと思い込んでいた。しかし、さまざまなバリエーションを試し、検証を繰り返しても、どうにも違和感が拭えなかった。
そこでさらに突き詰め、ティックレベルまで分析を深めたところ、今度は 「波動の見えすぎ問題」 に直面した。無限に続く節目と向かい合うことになり、分析の永久循環に陥った。
そこから抜け出し、ようやく見えてきたのが 主波・副次波・零細波 という波動の本質的な形成原理であり、そこを基準に 「新東境界線」 という目線切替ラインに辿り着いた。そして、ようやく「長期順張りの短期逆張り」が示すエントリーポイントを見極めるに至った。
“短期逆張り” とは、想像していたものと全く異なっていた
「長期順張りの短期逆張り」と聞くと、多くの人は 「明確なトレンドの流れに乗り、押し目や戻り目でエントリーする」 というイメージを持つかもしれない。
だが、私がようやく辿り着いた結論は、そんな単純なものではなかった。
むしろ 「落ちてくるナイフを拾う」ようなポイント であり、普通なら 「こんなところでエントリーするのか?」 と思うような場面だ。
それが理解できても、エントリーには 確信と勇気が必要 だ。
逆に、こうした局面では 「反対側にエントリーしたトレーダーは、安心してポジションを持っている」 ことが多い。
しかし、その安心感は長く続かず、いずれ相場はそのポジションを飲み込んでいく。
それを事前に察知し、反対側で構えておくのが 「長期順張りの短期逆張り」 というスタンスだった。
「長期」と「短期」の定義と、本当の順張りとは?
ここに至るまでに、長期と短期の定義、そして「順張り」とは何か? という問いに向き合い続けてきた。
そして得た結論は、長期とは「相場を支配する波動全体像」であり、その中のどの部分を現在形成しているのかを把握することが本質的に必要 だということ。
相場の全体像を捉えたうえで、今どの局面を形成しているのかを認識し、その中で 「短期」と相対的に呼べる波動の箇所を見極める。
その反対側に進行する波動の終点を捉えた時、初めて 「長期順張りの短期逆張り」 が成立する。
この本質に触れるまでに、相当な期間と苦労を要した。
ここまで辿り着くのに要したもの
こんなもの、誰かに教えてもらわない限り、自力で辿り着くのは至極困難 だ。
私は 支援者がいる中で、また、経営者として生きてきた経験も活かし、期間を決めて徹底的に検証に向き合った。
朝から晩まで1ヶ月以上、ひたすら波動の動きを追い、総計すれば 何万本以上の検証を重ねた と思う。
「稼ぎ方」「ノウハウ」を聞いて、読んで、実践して「人生変わりました」となるほど、相場は甘くない。
トレードは 「どこでもエントリーボタンを押せる」 という点で、一見シンプルに見えるが、無数に存在するポイントの中から「ここ!」という箇所でビタ押しできなければ意味がない。
「そのインパルスの半値戻し」とよく言われるが、“その” インパルスが何を指すのか?
それを理解できなければ、結局「なぜそこなのか?」がわからないままになり、エントリーに活かせない。
相場で生き残るために、知るべきこと
相場は 「数ヶ月・数年レベルで資金を守りながら増やせたとしても、大きな流れに巻き込まれる可能性が常にある」。
短期で成功しても、月足・年足レベルのサイクルで崩れ去るケースは少なくない。
システムトレードで 数年かけて守り育んだ資産が、一瞬で崩壊してしまったとしたら?
その瞬間、自分のアイデンティティが崩壊し、取り返しのつかない喪失感に襲われるだろう。
それが、長期間の努力が水泡に帰したときに訪れる 「自我の崩壊」 というものだ。
知れば知るほど難易度が高く、そして 投機は、魅力的であると同時に、堕天使のような側面を持つ知的スポーツ だと強く感じた。
「長期順張りの短期逆張り」の言論が示すもの
ついに、その 本質的なポイント に触れることができた。
感動したと同時に、ゾッとするような感覚を覚えた。
ここまで理解したからこそ、今後の相場の動きに対する確信がある。
この確信があるからこそ、私は前に進むことができる。
そして、その確信を持たずに、ただ信じる心だけでエントリーを繰り返していくトレーダーが、最終的にどこへ向かうのかを考えると、ゾッとする。
FXは、無責任に人に教えるものではない。
しかし、きちんと理解した上で向き合えるのであれば、これほどまでに感謝されるものもない。
代償と報酬は比例する。
FXほど、個人が支払うことのできる 最大の代償が伴う代わりに、莫大な報酬が見込めるもの はないだろう。
この真実を、ここに記しておく。